1月2日のルート
「若草山山頂」
「室生寺」
「長谷寺」
「法隆寺」
少し早めに起床
近場なら寺院の開門が大体9:00位なので
そんなに慌てなくても良いのだが
お寺として最初に訪れるのは「室生寺」と決めていた
若干、JR奈良駅から距離が有るので少し早起き
その前に清々しい風景をと考え「若草山山頂」に向かう
が、道中は「奈良奥山ドライブウェイ」とかで
有料道路;;;
頂上までは往復700円
時計回りに一周すると2,000円!!!
丁度室生寺に行く道に出る感じだが
また、ピストン往復より一筆書きにしたいのだが
なにぶん・・・高っ!
往復と料金所で告げて進入
中々の勾配でのワインディングで頂上駐車場
1~2台でした
歩いて直ぐ
良い景色
キンと冷えた澄んだ空気でした
「奈良奥山ドライブウェイ」HP
念願の「室生寺」に向かいます
ルートはこちら
途中「道の駅 針テラス」に寄り
出ようかとナビルートと違う出口から出たら
案内ルートが変わった
結果、室生トンネルからのアクセスになった
9:00開門で着いたのは9:20頃、
他の車は4~5台程
帰る頃には人だかり、観光バスも来てたので
やはり朝早めが良いでしょう
念願の「室生寺」
20巻有る「国宝への旅」
何故かこの室生寺が印象深く
また毎年キャンプに行く酒田市出身の
生涯かけて室生寺を撮った「土門拳」
一昨年記念館にも行く事が出来た
ま、魅せられてしまった訳で、。
土門拳が滞在した橋本屋
やはり寒い朝だったようで
ド派手な金堂も嫌いじゃないが
この素朴さが奥深い
内部の写真は撮れない、スケッチもNG
中に収められている御仏は
国宝 「中尊 釈迦如来立像」
重文 「薬師如来立像」 「文殊菩薩立像」
重文 「十二神将立像」
(六神将づつ金堂・寶物殿に安置)
オーラが半端ない
が、ここで有る事に気づく
この金堂の屋根はそうでなくとも目につく
少し形が変わっているのだ
隅木が一旦出て屋根が反り上がってまた前方に反り出す
なぜこうなったのかは解らないがとにかく目がいく
で、、、本来こけら葺の屋根なのだが、。
何か被さってる、、。
結果として、この後本堂で知る事になるが
経年と動物による損壊があり、
ま、トタンと思われるがカバーしてる様で、、、。
ちと残念、。
来年より修繕工事が入る様だ
重文 「弥勒堂」
中に安置されている御仏は
重文 「弥勒菩薩像」
そして 国宝 「室生寺本堂(灌頂堂)」
安置されている御仏は
重文 「如意輪観音菩薩」
かやの一本造り
日本三如意輪の一つと称され
こちらもオーラ半端ない
ここで前途した金堂屋根の改修に御協力を、との件
室生寺は檀家を持たない様で
また国宝と言えど補修は全額出る訳はなく
中々来る事も出来ず、色々な巡り合わせも有ったりの室生寺
大金は出せないが、寄進する事にした
一昨年会津若松の叔父が亡くなり
斎場で紹介されたお寺が「室生寺派・千葉寺」
この会津で室生寺に関係する寺院が有る事に驚いた
が、さらに驚くべき事が、、。
寄進する用紙に住所氏名を書くのだが
住所を見て「○○からですか」、、。と
なんと地元のお寺も末寺になっていると
しかも地元の住職は同級生
先月、、親しい同級生が急遽し、御世話になったばかり
毎年一度はこの室生寺に来るとか
この室生寺の僧侶も何度か南会津を訪れてるとか
お忙しい所の様でしたが暫しお話となりました
繊細で、とても目が済んだ僧侶さんでした
巡り合わせ、、、なお室生寺への思いは深くなった
そしてこの本堂の裏に構えてるのが
国宝 「五重塔」
ホントに素敵な五重塔です
落ち着いた佇まいにも存在感ある
他の五重塔より少し小振りだが
それが女人高野山の謂れと思われ
天気がよくて最高なのだが
実は雪の室生寺、五重塔も写真を見れば
また格別の様だ
折角なので奥之院にも行ってみます
重文 「奥之院」
「御影堂」弘法大師空海像が祀られてます
僧侶さんとの御縁もあったり
近ければ何度でも来たいと思うが
また、金堂の屋根が修繕された頃
訪れたいと思います
室生寺のHPはこちら
安置されてる御仏に逢えます
2025 01 02 真言宗 室生寺派 大本山 室生寺
室生寺を後にし、西に戻り「長谷寺」へと向かいます
駐車場だが、長谷寺の東側にあるのだが
この時も非常に混んでました
とっさに調べてR165のショートカット
長谷寺への通りを右折~一方通行右折せず
直進すると有料駐車場が有り
タイミング以外の何物でもないが
満車だったのが丁度一台空きに、ラッキーでした
丁度時計は12:00
すぐ脇の「味処 吉野館」へ
にゅうめんとキノコご飯のセット
美味かったです
そうめんを温かくして食べる事が「にゅうめん(煮麺)」とか
奈良発祥の郷土料理
「長谷寺」
「長谷寺」初めてです
ゆく年くる年で見聞きした記憶
「仁王門」また迫力のある山門で
登廊、、また登りがキツイ;;;
牡丹が咲いてました
国宝の本堂です
こちらも御仏様の写真はNG
本堂の中に安置されているのは
重文 「十一面観世音菩薩立像」
こちらは国内木造最大の仏様とか
重文 「雨宝童子立像」
重文「難陀龍王立像」
また徳川十三代将軍の肖像画があります
こちらにも立派な五重塔があります
いや~こちらもカッコいい
比率、バランスが良いです
大和國長谷寺のHPはこちら
2025 01 02 真言宗 豊山派 総本山 長谷寺
長谷寺を後にし
もうこの時点で午後
巡りたい寺院が多く残ってるがここで決断
エリアA
「法隆寺」は是非行きたい
エリアC
として、「飛鳥寺」へと舵を切る
「飛鳥寺」
596年、開基は蘇我馬子
聖徳太子と「いとこ」とは知りませんでした
日本最古の仏教寺院
鎌倉時代に焼失し江戸時代に再建
こちらは写真撮影OK
御本尊は「銅造 釈迦如来坐像」
右脇に「阿弥陀如来」
左脇に16歳の「聖徳太子像」
大工の必需品「さしがね」を日本に持ち帰り広めたのが
聖徳太子と言われている
埼玉県飯能市の「円泉寺」には
さしがねを持った聖徳太子の掛け軸があるらしい
明日香村は市内と違い穏やか
庭園の先には蘇我入鹿の首束があります
貴重な御仏の撮影OK
国宝ではないが貴重な存在です
「飛鳥寺」の紹介はこちら
https://asukamura.com/sightseeing/487/
2025 01 02 真言宗 豊山派 飛鳥寺
飛鳥寺を後にし法隆寺へ
「法隆寺」
国宝の金堂に安置されてるのは
国宝「釈迦三尊像」
国宝「薬師如来坐像」
重文「阿弥陀三尊像」
国宝「四天王立像」
国宝「毘沙門天、吉祥天立像」
こちらも写真はNG
もこし=庇のようなもの
後記する薬師寺のもこしもすごいが
御本尊は聖徳太子像
中には多くの国宝
そして拝観したかった「百済観音像」が安置
残念ながら閉門が冬季は早く16:30
着いた時で15:45
流石は法隆寺、見どころが多く多岐にわたる伽藍
半日位掛ける思いで来なければ十分拝観出来ないかな
半分も観れてないかも
法隆寺はまた来よう、いつか
法隆寺のHPはこちら
2025 01 02 聖徳宗 総本山 法隆寺
若草山~室生寺~長谷寺~飛鳥寺~法隆寺
一日でこんな感じでした
法隆寺が全拝観出来ず
プラス一日あれば巡れなかった寺院も観れるか
腹も減ってホテルに帰路とした
夕飯はホテル近くで焼肉
「炭火焼肉 なら八 本店」
ホルモン、丸チョウ、ハラミ等
かなり美味しかったです。良いお店です
ビールガンガン飲んだのに・・・
呑み足らず(笑)
「お酒の美術館 JR奈良駅前店」
チョイと一杯のつもりで呑んで~
ラフロイグのハイボール、、、めっちゃ美味くて
女性のバーテンダーさんとアイラの酒で話が弾み・・・
最近、一押しって言うか
ホントに入手できないアイラを見せられ
「呑み比べできます」との事。。。
お願いします、と
OCTOMORE(オクトモア)呑み比べ
いや~~~♪これサイコーでした
アイラ最強だな
因みに5,000~6,000円しました(笑)
ま、たまに出掛けた時位は贅沢いいだろ
良い一日になりました
1月2日の記
※記中のマップはGoogleMapに加筆しています
----------追記----------
室生寺についてもう少し記します
室生寺に興味が起きたのは
前途もしているがNHK監修の「国宝への旅・12巻」
20巻あるが印象深かった一つが室生寺
その後購入した「土門拳の室生寺」
生涯かけて室生寺にカメラを向けた土門拳
建築に携わって居れば建物に興味持つのは当然
入り方も人それぞれとか、と思う
12巻で室生寺を担当執筆した御二方の解説も
内容の濃いもので興味深かった
大きく関わるのが、あの「興福寺」
元々は、上流隣にある竜穴神社の神宮寺として創建されるも
一帯は桓武天皇(親王時)の病気を祈って平癒した
威徳の地として興福寺は室生寺を支配下にした
なので創建時は法相宗だったようです
興福寺は室生寺を末寺に置くが
室生寺は神社の神宮寺(竜王寺へ)として
この興福寺からの脱却を望むも長い間叶わず
徳一、最澄のような宗派仏教の討論ではなく
政治と宗教で寺領の争いが色濃く
ま、今の世も同じようなもので、、
大手が政治資金で国家の権力を優位にし
どんどん厳しい法律が出来、田舎の大工はやっていけん
という構図とほぼ変わらんが
(決して興福寺を悪く言う訳ではないが)
ようやく室生寺に明るい兆しが見えたのは戦国末期
「五代将軍綱吉」に実子に恵まれず
生母「桂昌院」がその護僧「隆光」に頼り
繋がりを持ち、大和の出身だった「隆光」が
仏教への財政支援を求める
結果的に桂昌院は室生寺に2,000両寄進
これが女人高野山の謂れともなっている
同じ頃、衰退していた興福寺から独立を獲得し
新義真言宗豊山派 室生寺と成る
識者の意見からは収められてる御仏に
「ばらつき」があるのはこの紆余曲折に
関係してると言われてるようです
追記で長々となっているが
現在は「真言宗室生寺派 大本山 室生寺」
なぜ豊山派から室生寺派本山になったかは解らないが
調べてたら興味深い事が解った
文中で記した通り
一昨年の叔父の法要にて、
会津に室生寺の末寺が有る事に驚き
その時の住職の息子さんである僧侶さんも
室生寺派は福島県に多いですと仰っていた
また今回、金堂の屋根修繕の件で僧侶さんとの話で
地元のお寺も末寺、室生寺派と知った
色々なWEBページを視ていた所
現在の真言宗室生寺派管長であり
室生寺第32世座主は「下村聖登」師
一つ前の、真言宗室生寺派管長、
室生寺第31世座主は「網代智明」師
なんと福島市出身でした
また、更に一つ前真言宗室生寺派管長、
室生寺第30世座主は「網代智等」師
やはり福島市出身
網代智明師とは親子関係か
で、第29世座主は「下村聖栄」師
こちらは現在の座主
下村聖登師と親子関係かな
で、、、室生寺第28世座主であり
初代真言宗室生寺派管長が
「網代智海」師
この御方も福島市出身
1962年(昭和37年)室生寺を豊山派から離脱させ
1964年(昭和39年)真言宗室生寺派を創設
福島県、広いとは言い
これだけの繋がりが室生寺と福島県にあり、
また地元に末寺があり、
何かの縁か、金堂修復に寄進した事でそれが解り
年末に亡くなった同級生がここの墓地に入る
大本山に手を併せる事が出来た事
行っておさらいする事でここまで解った
やっぱり行って良かったな
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