混む時期によっては渋滞で時間を取られ
中々見どころのメイン宿場内でも
十分に時間が取れないとは思いますが
歴史絡みの目線で少し足を伸ばすと、、、。
調査の合間を見て少し廻ってみたので紹介します
☆ 桜木姫墳
大内宿の北、宿場道の行き止まりを右手、又は
蕎麦道場駐車場の奥に入るダート道が有ります
これが旧下野街道です
蕎麦道場駐車場より
この先に分岐、お地蔵さんが目印
左に行くと宿場通り、ココを右に行きます
すぐまた分岐、ココにもお地蔵さん
右に行きます、(左は営林署管轄になり行き止まり)
ダムの下に向かう感じ
左手小高い所にあります
謂れは、、、画像の通り
後白河天皇の時代、、、遠い歴史です^^;;;
この中央の古株が本来の樹なのかな、。
ダムの下部に進む道、
電源開発の管理地になり行き止まりです
旧下野街道がダムの下に沈んでしまったのが
解るポイントとして次に続きます
☆ 二十四戦士の墓
一旦県道に戻り大内ダムに向かいます
ダムの堤防分岐を600m程直進すると
右手に分かれ道、
この様な案内板が有ります
アスファルトの道を登って行くと駐車場に
駐車場の奥から入ると桜の並木道の先に東屋
その左手に、ひっそりと
謂れは
ダム湖の下になってしまったのを移設したようです
時は戊申、旧幕府軍の会津藩と新政府軍側の宇都宮藩がこの地で合戦
宇都宮藩の戦士が24人命を落としたのですが
大内宿の方々の手で手厚く葬られたとか
戦争に直接関係ない者は、やはり同じ人間ですネ
「人として」「人道的」って事なんでしょうね
☆ 下野街道 氷玉峠の一里塚、峠の茶屋
二十四戦士の墓より更に850m程先、
また右手に鋭角に入る道が有ります
チョット解りにくいので通り過ぎ氷玉トンネル方面より
特に何も案内は無いと思いきや
撮影場所で振り返ると
こちらが本来の下野街道の様です
案内板は劣化して何も書いてないが、、。
先ほどの道を山に登ります
途中までは落ち葉まみれのコンクリート道だが
途切れてダートになる
チョット走るとこんな案内が
この辺に先ほどの道が繋がってるのかな
その先はすぐに広場になり
一里塚が現れます
江戸の時代、参勤交代や商人の目印になっていたようです
左手に山道が有ります
軽トラックが入ってるような跡なので入ってみます
この先、、、マジ山道、。。
急な切り替えしも有ったり急だったり、、。
少しマジモードで進むと
峠部かな、緩やかになり平らになります
立て看板が、、戊辰戦争の古戦場跡だったようです
もうこのすぐ先に開けた場所が、。
茶屋がひっそりと
再建されたようですが、今ではひっそりと
人けも皆無、しかし昔はこの地で多くの大名、民で賑わってたようです
茅葺に、外部は杉の表皮、。趣有ります
奥には、古い祠が
昔は道中の安全でも祈願したのかな、。
この先は新道に合流するまで下りの様です
ココはここで引き返しました
こんな山の中に歴史が有る事を知ったのも
調査し始めてからだな、、、。
☆ 市野峠、イザベラバードの道
こちらは先日大規模林道の探索帰りの記にもしましたが、、
取りあえずリスペクトしときましょう
氷玉トンネルの手前からも入れます
大内ダム湖は一周廻れます
取りあえず大内宿からと言う事で
ダム湖堤防を左折
ダム湖を時計回りに廻ります
対岸側は交通量は非常に少ないので
道は枯葉等で注意必要です
堤防で分岐してから2.5kmほど進み、
ダム湖の一番北側で左に道が、。
氷玉トンネルからは500m程の地点
こんなアスファルトの古道を500m程進むと
市野峠です
江戸期、新潟方面の新発田藩、村上藩は
下野街道より近道のこの街道を通った様です
イザベラバードも日本奥地紀行で
この峠を越えたと記されたようです
立て看板の先、森が開けた所から高田の街が見えます
メインの大内宿場が当然人気ですが、
こんな歴史に触れられる所が近くに有ります
ま、、、お時間が許せば